目次
離婚に向けた就活編
1. 離婚を決意
2. 離婚への始動準備
7. 職業訓練校へ
9.派遣会社からの紹介
グルテンフリーを始めた頃、石けんシャップーも始めました。
元々、私の頭皮は敏感で、合うシャンプーを見つけるのに苦労していました。敏感頭皮なのにすぐ臭う。気を抜くと頭皮から犬のような臭いを発します。夏は特に危険。
ドラッグストアなどで普通に手に入るシャンプーだと、大概フケが出るか、髪がパッサパサに傷んでいました。 特に頭皮スッキリ系のシャンプーを使った時のパサパサ感は半端ないです。頭皮の臭い対策に、無印のスカルプケアシャンプー、ロクシタンのファイブハーブス・ピュアフレッシュネスシリーズを試しましたが、頭皮がスッキリした感じはとても良かったのですが、髪のパサつき具合が半端なかったです。使うほどにパサつきは増し、ある日鏡を見ると、生活に疲れたようなパサついた髪のおばさんが。。。。
ミノンなどアミノ酸系のシャンプーも試しました。フケは出ないのですが、私の頭皮には洗浄力が優しすぎて、頭皮の臭いは残ったまま。ミノンはどこでも手に入るし、一本で体も洗えるってのは楽で良かったのですが。
色々使って調子が良かったのは、ロクシタンのファイブハーブス・リペアリングシリーズでした。頭皮がヒリヒリしたりフケが出ることもなく、さらに頭皮の臭いも比較的、気になりませんでした。しかしこのシャンプーは高いのがネック。
他にもオーガニック系シャンプーを色々試しましたが、どれも低刺激でフケは出ないものの、臭いには効果なし。そしてオーガニック系は大体どれも高く、どこでも手に入る訳ではありません。
そんなシャンプージプシーだった私を救ってくれたのが、石けんシャンプーです。
当時頭皮の状態に悩んでいた私は、ネットで調べたところ、石けんシャンプーなるものの存在を知りました。石けんは界面活性材が含まれていないので、敏感肌のも安心、さらにしっかりした洗浄力がある、云々。そしてシャンプーがいらなくなるのでお風呂場のモノが減り、ミニマリストにも愛用者が多いとも知りました。ただ、とはいえ、ギシギシしそうなのと、石けんカスが頭皮についたら逆効果かも?と思い手を出せずにいました。
ある日、シャンプーを切らした私は、顔と体を洗うのに使っていた石けん(コストコで買ったオーストラリアンボタニカルソープ)を泡立てネットで泡立て、その泡で頭皮を洗ってみました。なんか頭皮をしっかり洗えてる、という感じがしました。
しかし、洗っている間は泡のおかげで気にならないのですが、すすぐときのギシギシ感といったら!
まず指が入らない。
そして髪全体が、もつれた毛糸の塊になったような、
少ないお湯で茹でた時のスパゲティのような、衝撃的な感触でした。
あー失敗したなあ、やっぱり髪の毛は石鹸で洗うもんじゃないわーと思いつつ、泡を流しました(指通りが悪いので流すのが大変だった)。石けんでシャンプーすると髪がアルカリ性に傾くので、お酢など酸性のリンスで中和する必要があると知っていたので、裸のままキッチンへ行き、お酢を持って風呂場へ戻りました。量がわからなかったので、洗面器にお湯を張り、そこにたらーっと適当にお酢を投入。
そのお湯で髪をすすいでみたところ、あらびっくり!!
あんなにギシギシだった髪が、魔法のようにさらら〜〜とした手触りになったのです!
すすいだあと、髪の毛や風呂場がお酢臭くなることもなく、乾かすとさらに髪がさらら〜として、さらに艶も出ていました。たった一度でこの変化。本当にびっくりでした。
今までの合成シャンプーをジプシーしてた日々はなんだったんだろう。
そんなこんなでもう5年ほど石鹸シャンプー派です。使うごとに髪が丈夫になっていきました。美容院ではいつも髪質を褒められます。艶とコシがあり、もう40代後半なのに、髪だけは若いです。抜け毛は多いですが。
あと、石鹸シャンプーの好きなところは、頭皮を洗えている!と実感できるところ。普通のシャンプーでは得ることができない頭皮のスッキリ感。頭皮の臭いも夕方くらいまでは気になりません(これまでは昼には匂ってました!)
最初は前出のボタニカルソープで洗っていましたが、泡立てるのが面倒なのと、コストコのメンバーシップの更新をやめたので、最近は泡で出てくるパックスナチュロンのシャンプーに落ち着いています。Amazonで買ってます。
とはいえ、石けんシャンプーはオイリー頭皮の私でさえ、時々パサつきを感じることがあります。そんな時は、乾かすときにアルガンオイルを数滴毛先を中心に馴染ませたり、石けんシャンプー派からすると邪道かもですが、市販のトリートメントを石けんシャンプー用のリンスの後に使っています。普段は自然派シャンプーの私ですが、たまにシリコンの入った市販のトリートメントを使うと、その威力に驚愕します。もう、指通りがトゥルットゥルなんですよ。でもこの感触は、たまのご褒美的な感じで楽しむようにしてます。
年末にパナソニックの食洗機を買ったのですが、その時やってたキャンペーン商品、食洗器用joyが届きました!!一袋16個入が6袋、約3ヶ月分も入っています。助かる〜
joyの食洗器用洗剤は固形なので扱いが楽。他を使っていないので比べることはできませんが、毎回スッキリ洗い上がってます。
食洗機は毎晩活躍してもらって頼もしい限り。もう食洗機導入前の生活は考えられない。。。
5年目に突入したゆるグルテンフリーの続きです。
グルテンフリーダイエットは思ったほど大変ではありませんでした。米が主食の日本人だからでしょうか。あと、グルテンフリーと言いつつ、私の場合厳格に食事からグルテンを削除せず、ゆるっとしたペースだったので続けられているんだと思います。どのくらい緩めだったかというと、調味料のグルテンはカウントしない、餃子の皮や、フライ、天ぷらの衣なんかはグルテンだけど、中身だけ食べる、なんてことはしない。でも食べる量には気を付ける。日常に支障がない程度にのんびり続けていました。
ダイエット、とは言っていますが、この場合の目的は減量ではなく、健康になること、薄らぼんやりした不調から抜け出ることが目的でした。でもグルテンフリー生活を1ヶ月続けると、いつの間にか体重は2キロ減っていました。パンやパスタを始め麺類、あと洋菓子を食べなくなったせいだと思います。
ちょうどこの頃、腸内環境を整えることが大事だといろんな本で知りました。腸内環境についての本はたくさん出ていると思いますが、
下に特に私がおすすめする本の情報を載せておきます。
グルテンフリーを続けてひと月ほど経った頃、お友達から、美味しいと評判の店のパンを差し入れしてもらいました。グルテンフリーも1ヶ月が過ぎ、そろそろ小麦への渇望が出てきていた頃でした。ちょうど「パンが食べたい!」 とモーレツに思い始めていた時だったので、グルテンフリーは忘れて美味しくいただきました。パンはとっても美味しかったです。美味しいパンを3つも食べて、その日は幸せな気分になりました。
しかし幸せな気分も束の間、翌朝私の顔はむくんでいました。そして腕にはミミズ腫れができ、痒くなりました。前日のパンが原因とは言い切れませんが、タイミングが良過ぎます。そういえば、ほぼ毎晩脚に蕁麻疹が出て痒くなる時期があったのですが、思えばあの頃は小麦製品を無制限に食べていた頃でした。皮膚科では「体質だから仕方ない」と言われ諦めていましたが、考えてみるとグルテンフリーを始めてからは蕁麻疹は出ていませんでした。
どうやら私の場合、グルテンを含んだ食物を食べすぎると調子が悪くなるのは間違いないようでした。
しかし、
それでもパンや小麦製品が悪者だとは思いません。
小麦でできたパンやケーキ、麺類その他食品は、単なる食べ物ではなく、世界中のいろんな民族が、大昔からそれぞれのやり方で築いてきた偉大な文化と言っていいと思います。私の場合、残念なことに小麦由来のものを食べると調子が悪くなるようですが、そうでない方はたくさんいるわけで。
幸い私は小麦を食べて調子が悪くなるとはいえ、重篤なアレルギー症状ではないので、小麦を拒絶するのではなく、付き合い方を変える方が、自分にとってはもちろん、周りにもストレスがないと思います。
節度を持って量に気をつけ食べる、調子が悪くなってもいい日(翌日予定のない日など)を選んで食べる、など工夫をしています。禁止はしていませんが、食べると不調になることはわかっているので、ほとんど口にしなくなった。。。というより、ほぼ欲しくなくなりましたが。
*追記*
この記事を書いて半年後、職場でピザパーティーがあり、調子に乗って大きなスライスを2切れ頂いたら、3−4時間後にはお腹が張って辛かった。。。。
こんばんは。ゼロ子です。
今日はなんだかんだでもう5年目に突入しそうな、私のグルテンフリー生活についてお話しします。
2017年の夏ごろだったか。リーキーガットに関する記事と、ジョコビッチのグルテンフリー本
を読んだのがきっかけで、私もグルテンフリー生活を始めてみました。
ジョコビッチの本では、グルテンの摂取をやめたら、動きも思考もキレッキレになったとか。気になります。私もキレッキレになりたい。
他にも、「グルテンフリー」関連のブログを覗いてみると、痩せた、肌がきれいなった、寝付きや寝起きが良くなっただの、怒りっぽくなくなっただの、もーいいことづくめ。これはやらない手はありません。
元々私は、パンや麺を食べすぎると、なんとなくお腹が張って体が重くなる「ような」気がしていたので、不調の原因を確かめるためにもいいかなと思いました。
まずは2週間お試しのつもりで開始。厳格なルールでは醤油もNGらしいですが、私はそこまでキッチリやらず、とりあえずパン、小麦粉でできた麺類、小麦粉を使った菓子類その他小麦粉でできた食べ物をやめてみました。2週間後、どんな変化が現れるか期待して。。。
結果から申しますと、キレッキレにはならなかったし、痩せてもいないし、肌もいつも通り。寝付きや寝起きもいつもと変わらず、特に劇的な変化はありませんでした。ただ、この頃の私は訳もなく、突然顔が浮腫む日がよくあったのですが、グルテンを控えた期間中はむくんだ日は全くありませんでした。
そして、便の調子が良くなりました。大きなバナナ状のう●ちが、ほぼ毎日するっと出るようになったんです。さらに便は匂いがほぼありませんでした。腸内環境が劇的に改善したのは間違いなさそうです。この頃ちょうど、ヨーグルトとキウイを毎日食べるようにしていたので、その効果かもしれませんが。
そんなに大変じゃなかったし、とりあえずもうちょい続けてみるか。。。ともうしばらく続け様子を見ることにしました。
そして4年もゆるっと続くことになる、大きな変化を迎えたのです。
続く
大学で派遣社員としてしばらく働いた後、別の派遣会社から翻訳者の求人を紹介してもらうことができました。
私もやっと翻訳者として仕事ができる!
採用された時の感激はひとしおでした。
オフィスワークなんて無理なレベルのロースペックおばさんから、やっとここまで来れた。。。
ちょっと信じられない気持ちと、自分を誇らしく思う不思議な感覚でした。
紹介されたのは、外資系自動車部品会社での翻訳業務でした。自動車には全く疎かったので、車の仕組みなどの本を読み漁りました。
その前に働いていた大学では、学生や教授を始め、人の出入りが多く、いろんな人とやり取りし合う毎日でした。
業務はエントレーレベルでしたが多岐にわたり、学内をあちこち動き回り、日々目まぐるしく過ぎていきました。
しかし翻訳の仕事はそれと真逆でした。自分の席を離れることはなく、ずっと同じ場所に座ってひたすら日本語を英語に、あるいは英語を日本語に翻訳する日々でした。仕事中は皆さん静かに作業をされていて、音を立てるのも憚られる雰囲気でした。社内の人と喋る機会もあまりありませんでした。専門用語も多く、一つの文書を翻訳するのにいつも時間がかかって、間違いを指摘されることもあり、自分の力不足を痛感する日々でした。
あんなにやりたかった翻訳の仕事なのに、段々仕事が辛くなりました。やはり私にはまだ翻訳なんて無理だったんだと悩みました。
大学の仕事は楽しかったなあ、もう少し長く続ければよかったかな、と思う日もありました。
翻訳者として働き始めて半年ほど経った頃、前夫の横須賀での任期が終わりに近づき、またアメリカに戻ることになりました。
3年前、日本へ帰国した時、
「日本にいる間に離婚しよう、頑張って日本にいる間に経済的に自立しよう」と決心した私。
当初の目標通り、仕事を得て定期的な収入は得ることは達成しています。
しかしまだ派遣社員で、立場は安定していません。いつ切られるかわからないし、ボーナスはもちろん、交通費の支給さえありません。祝日が多い月など稼働日が少ない月は、手取りに直結するので収入は安定してるとはいえません。そして、せっかく就いた翻訳の仕事が辛く、辞めたいと思い始めていた私は、離婚を諦め夫と一緒にアメリカへ帰る、という選択肢が一瞬頭をよぎりました。
何より子供達をどうすうるのか。
子供達と離れるなんて考えられない。日本で、自分の元で育てたい。
でも日本語が上手でない子供達(子供達は日本にいる間も米軍の学校へ通っていたので、ほぼ英語しか使えない)が、父親と離れて日本にいたいと思うだろうか。父親と引き離し、日本語のできない子供達を日本に留めおくことが、彼らのためになるだろうか。
そんなことを考えると、
ー 離婚なんて諦めて、アメリカで生活を再開させる方が最善なのではないか?
ー 私の心の持ちようを変えたら、結婚生活も辛くはないかもしれない。もしかしたら夫との関係も改善するのではないか?
ー 離婚で子供達を犠牲にしていいのか?
毎日こんなことを自問自答しました。
すると悩み過ぎてハゲができ、そのハゲは10円サイズから、あれよあれよと大きくなり、半分に折った1000円札くらいまで拡大しました。さらに原因不明の湿疹、節々の痛み、微熱。。。体は悲鳴をあげました。
私は自動車部品会社を辞めました。
それから1週間、自宅に篭り体を休めながら、自分自身の心の声を聞きました。
これまでの自分、これまでの生活、夫との関係、そして子供達のこと。
これまで、自分は役立たずで価値のない人間だと思っていました。だから家計の管理に参加できなくても、夫に生活を管理されても仕方がないと思っていました。これまで私は、夫の前では思っていることの半分も口にできず、萎縮する日々でした。
もうこんな自分のままでいるのは嫌だ。惨めな気分で毎日を繰り返すのは嫌だ。
あの日決めた日から、やはり気持ちは変わっていません。
そしてこれからの自分、これからの生活を考えました。
生活がキツくなっても、私は自分を貶めない生き方をしよう。自分に誇りを持って生きていこう。
貯金もできた。引っ越し資金もある。
子供を連れて家を出よう。
それが私が出した決断でした。
決断を出した夜は久しぶりによく眠れました。そして微熱と湿疹も、波がひくようにスーッとなくなったのです。ハゲはしぶとく残っていましたが。。。
正社員での就職を希望していた私でしたが、年齢的にも学歴的も、職歴的にも、
全ての面でロースペックだったので、まずは派遣で経験を積むことにしました。
職業訓練校を終了と同時に、派遣会社から紹介してもらった某私立大学で働くことになりました。仕事内容は、英語の先生のサポート、簡単な翻訳、学内掲示物など簡単な文書作成、そして英語の授業を行う教室の管理と生徒さんのサポート、その他庶務です。仕事内容は難しくなく、初めてのオフィスワークにはちょうどいい感じでした。もちろん、学ぶことはたくさんありました。何より、日々学生さん達に接するというのが、とても新鮮でした。若さって、ほんと眩しいですね。そばにいると自分まで若返りそうな若者のエネルギー。若い人がいるだけで、空気が明るく元気になって、若さっていうのはありがたいものなのだ…と日々しみじみしていました。
失う〜とき、は〜じめて、眩しかった時を、知〜るの、って聖子ちゃんも歌ってたっけ。
大学での仕事はとても楽しく、職場の人間関係にも恵まれ、1年が過ぎていきました。
私は相変わらず翻訳学校で勉強を続け、ついに上級クラスへ進級しました。
そろそろ翻訳に関わる仕事をしたい。翻訳がメインの仕事がしたい。
次第にそう思うようになりました。
そこで私はまた別の派遣会社へ登録し、翻訳に関わる仕事を探しました。
そして派遣の契約更新を待たず、大学を2年足らずで辞め、自動車部品会社の翻訳者に転職しました。
そんなある日、再び前夫に辞令が出たのです。そう、あっという間にアメリカへ戻る時期になっていました。