8 再度、派遣会社へ登録 現実はほろ苦く
ExcelでVLOOKUP、ピボットテーブルでの集計もできるようになりました。職業訓練校ではピボットは習いませんでしたが、独学でできるようになりました。TOEICで915点を取りました。もう苦笑されて怖気付いていたあの頃の私ではありません。
リクルートスーツを買い込んで、私は意気揚々と就活に臨みました。職安で見つけた会社に、片っ端から面接を挑みました。目指せ正社員!
しかし現実はほろ苦いのです。
40歳という年齢、年齢の割に貧弱な職歴、そして残念な学歴…
オフィスワーカーならできて当たり前のExcelができて、ちょっと TOEICでいい点取ったからって、超ロースペックのおばさんが簡単に就職できるほど世間は甘くないのです。
結果は玉砕。当たって砕け過ぎて、もう形も残っていないかのごとく。
プライドも、やる気も砕けて粉々になった私は、わずかに残った頭で考えました。
過去の学歴や職歴は変えることはできません。もちろん詐称なんてもってのほかです。
ではどうする?
過去は変えられなくても、未来は作れます。
これから職歴や場合によっては学歴も、足していけばいいのです。
同時に、自分に足りない部分を理解し、他の面でカバーする工夫も必要です。私の場合、職歴の少なさを補うのは、短期間でパソコンスキルをマスターしたやる気や実績(大げさ? でもいいのです)。しょぼい学歴を補うのは、英語の発音や在米経験、そしてTOEICの点数。もちろん、好印象を与える努も怠ってはいけません。さらに、自分がちょっとでも得意なことを必要としてくれる会社や職種を探すこと、などが大事だと考えました。
視点を変えた私は、職歴を補うため、再度別の派遣会社に登録をすることにしました。すぐに正社員を目指すことは難しくても、派遣で経験と職歴を積んでスキルアップしていくしかない。急がば回れなのです。
7 職業訓練校へ入学
40歳になった直後、職業訓練校に通いました。4ヶ月くらいのコースだったと思います。ここでワード、エクセル、パワーポイントの基礎を習いました。もちろん無料です。私以外の人たちは、この職業訓練で1ヶ月10万円の給付金がもらえたそうです。私は外国人の夫の収入が基準以上ということで、残念ながら給付金の対象にはなりませんでした(私には1円も入ってきてないのに)。
職業訓練のパソコンクラスは、いろんな年代、バックグラウンドの方々がいました。子育てがひと段落した主婦、ミュージシャン崩れ、会社を潰しちゃったおじさん、ナイトワークからの転身組、もと引きこもり、給付金もらえればなんでもいい人…。あまりのメンバーの多様さに、自分を棚に上げ最初は引いていた私でした。最初はみんなてんでバラバラでまとまりがなかったのに、最後はみんな和気藹々とし、時々みんなで食事をする仲になりました。
あんなに苦手意識の強かったExcelでしたが、基礎がわかれば、あとはとても楽でした。日々、応用を覚えるのが楽しくなって、すっかりExcelに夢中になりました。
職業訓練の日々は順調に過ぎていきました。
しかし、のんびりぬるま湯に浸かっている場合ではありません。
和気藹々とした和やかな職業訓練校でしたが、友達を作りに来ているわけでも、遊びに来ているわけでもありません。他の人と違って、私は給付金をもらえなかったので、1日も早く就職に繋げる必要がありました。ちょうどその頃、先の記事で書いた TOEIC900点代を取りました。Excelにも慣れ、自信がついた頃、訓練校の終了を待たずに就活をすることにしました。
満を持しての就活だ、浅はかにもそう思っていました。
6 Excelもできないのに就活
TOEIC受験前、派遣会社へ登録しました。私は40歳になっていました。
派遣会社では、履歴書やこれまでの職歴で値踏みされ、その後パソコンスキルをチェックされます。当時の私はエクセルさえできなかったので、このスキルチェックがとんでもなく敷居が高かったことを覚えています。これでオフィスワークの就活を、しかも40歳でしようというのだから、今考えるとある意味すごいなあと思います。
「パソコンスキルは…(驚いたようにシートを二度見)えーっと…エクセルは未経験なのですね」と派遣会社の担当者が私のエントリーシートの確認をしているとき、
(よくここへ来たよね。。。驚愕)
(今どきエクセルも出来ないのに事務職希望って…苦笑)
(しかもこの学歴と職歴と年齢。。。失笑)
担当者を勝手に意地悪な人に仕立て上げ、脳内でセルフディスる私。
エクセルができない私はタイピングのみチェックしてもらいました。もちろん私はタイピングが早いわけでもなく、このレベルチェック自体が苦痛でした。隣のブースではリズミカルにに響くタイプを打つ音。ああ場違いな場所にいる…。アウェイ感がひしひし痛い。
学歴は三流(Fラン短大)、職歴はコールセンターと生保営業、今時エクセルも出来ずタイピングさえ遅い。アメリカにいてちょっと英語話せます!と言ったところで、そんな人は掃いて捨てるほどいるし、そもそも英語力を証明する英検やTOEIC高得点スコアなど、公式の証明書もない。。。ダメだらけです。オフィスワークはまず無理だろ、というレベルです。
でも当時の私は、それを不可能とか無理なんて、これっぽっちも思わなかったんです。
絶対に経済的に自立して、離婚する!日本にいられるこの3年の間に結果を出す!
それだけを考えて突っ走っていました。離婚への強い想いが、私を突き動かす原動力で、不可能を可能と思わせ、忍耐力の源でもありました。
強い思いというのは人を動かします。
人生も変えます。
当時なぜか、エクセルに苦手意識のあった私でしたが、やはり最低限エクセルはできないと仕事はない。これはもう逃げようのない事実でした。
翻訳学校にお金を使っていたので、新たに学校へ行くのは経済的に厳しい…と思っていたとき、ちょうど職業訓練校のお知らせを見つけました。運よく開講に間に合い、4ヶ月間ワード、エクセル、パワーポイントを習う運びとなりました。
5 TOEICで900点台、達成!
2014年10月26日、TOEICを受験しました。関東学院六浦キャンパスが試験場だったのですが、なんと会場を勘違いし、横浜市立大学へ行ってしまった私。ついてしばらくして間違いに気づき、慌ててタクシーで関東学院大学へ向かい、受付締め切りギリギリに間に合いました。
慌てて駆けつけたので、お手洗いへもいけず、心の準備もできないまま試験開始。
ああもう終わった…。と思いました。
ところが、この日はすごく集中できたのです。恥ずかしながら、いつもリスニングの時は雑念が湧いて、それに気を取られているうち次の問題を聞き逃すことがあったのですが、それが全くなかったのです。そしてリーディングパートも、文法穴埋めは、毎回いくつかは当てずっぽうで解答するのですが、この日は全て根拠を持って解答できました。最後の長文問題も、この頃は集中して英文を読み込んでいたせいか、問題文がスラスラ入ってきたのです。すこし前は、時間内に最後まで解答することさえできなかったのに。
もしかしたら、試験会場を間違え、遅刻ギリギリの極限状態のおかげで、火事場の馬鹿力が出たのかもしれません。
いつもは最後の方は時間がなくて適当に塗りつぶしたりするので、試験が終わるとホッとすると同時に虚しさと敗北感(結果も出てないのに)、そして物凄い疲労感を感じつつ試験会場を後にするのですが、この日は違いました。試験終了後、達成感がありました。今回はイケる、とまでは思いませんでしたが、きちんと考えた上で解答できたので、やり終えた満足感がありました。
そして数週間後、受け取った結果が上の写真です。
お世話になった参考書です。参考書はいつも持ち歩き、スキマ時間には必ず開くようにしていました。z会の問題集もよく使っていました。
継続は力なり、とはよく言いますが、本当にそうだと実感しました。
語学に限らず、何かを上達するには、少しづつでも細切れであっても、途切れさせないことが大事だと思います。情熱の火を絶やさない。強い思い、継続的な思いは人を変えるのです!
4 通訳・翻訳学校でビジネス英語を学ぶ
これまでのあらすじ
1 離婚を決意
2 離婚への始動準備
3 40歳直前の就活
きついアルバイトを半年ほど続け、お金の目処がついたので、学校へ通うことにしました。
離婚を決心して早1年が経っていました。
ビジネス英語を学ぶため、毎週土曜に横浜の某語学学校へ通うことにしました。
こちらは通訳・翻訳者養成コースがメインですが、ビジネス向けや初級者向けのコースもありました。下の子のお迎えがいらなくなったので、コールセンターのアルバイトは朝8時から昼2時のシフトに変え、日曜は朝から夕方まで働きました。
私は「通訳メソッドを利用したビジネス英語講座」という3ヶ月のコースを受講。初学者向けコースでしたが、当時の私には十分刺激的でした。毎週土曜の2時間、学校に通うのが楽しみでした。周りの生徒さんと刺激しあったり、相対的に自分のレベルをなんとなく把握できたことはプラスでした。
ただ、商談の英語やプレゼンの英語、というシチュエーションの英語は、当時の私には無縁というか、どう考えても別世界の言語でした。講義中ふと
「こんな英語を使う日が、果たして私に訪れるのか? コールセンターのバイトなのに」
とうっすら不安に思うこともありました。
通訳訓練がベースのクラスだったので、授業では英語を聞きながら発語することが多かったのですが、これはアメリカ帰りの私はうまくこなせました。発音だけはよかったのです。でも自分には文法や基礎が足りないことがわかっていたので、いくらネイティブ的な発音ができたところで、自分の英語を高めることにはならないな、と思い始めていました。
自分の得意不得意ポイントが理解でき、ではレベルアップのためには何をすればいいか考えられるるようになったのは、学校へ通ったメリットです。
学校へ通い出してから、自分にはもっと読み書きの訓練が必要だ! と強く思うようになりました。そこでなるべく英語で書かれたサイトの記事や本を読むようにしてみました。
この頃読んだ英語の本を一部ご紹介します。主に児童書やティーン向けの本で、比較的読みやすいものばかりで、英語学習者におすすめです。
"A Monster Calls " by Patric Ness
悲しくも美しい話。文章に無駄がなく、当時の私の英語力でも心に突き刺さる鋭さと繊細さを併せ持つ小説でした。読み終えた後は、心にずっしり余韻が残ります。簡単に泣ける、というのとは違う、もろく儚い切なさ。でも最後に一筋の光をうっすら感じ取れる。ハッピーエンドではないし、よくある最後に希望が、というのともちょっと違う。そこがこの小説に、奥行きと重厚感を与えていると思います。映画化もされましたね。
"Diary of a Wimpy Kid" by Jeff Kinney
大ヒット漫画。意外にためになります。
" Walk two moons " by Sharon Creech HarperCollins
Kindleでおすすめに入っていた児童書です。泣けます。実は悲しすぎる設定(後半で明らかになる)なのに、優しい情景がイキイキと浮かびます。ロードストーリー的要素あり、謎解き要素もあり、もちろん青春小説の要素もあり、ぐいぐい引き込まれます。
"Wonder" by R. J. Palacio
ジュリア・ロバーツが母役で映画化され、ご存じの方も多いと思います。原書で読まれることをおすすめします。平易な英語で読み進めやすいです。障がいのあるなしに関わらず、思春期の微妙な友人関係や葛藤に胸が締め付けられました。ちょうどこの頃、長男が主人公と同い年だったので、重ね合わせて読みました。
以前から時々英語の小説など読んではいたのですが、こうやって集中的に英語の小説を読むようになり、翻訳に興味が出てきました。
そして3ヶ月のビジネス英語講座を終え、私は翻訳者養成講座の一番下のクラスへ進級することにしました。
一番下のクラスとはいえ、毎回課題がどっさり出て、バイトと家庭と両立するのが大変でした。でもすごく充実感がありました。あんなに集中して、いろんなジャンルの英文を読み込んだのは初めての経験でした。
翻訳クラスへ進級してしばらくすると、英文を読むのが早くなったかも、と思えるようになりました。並行してTOEICの勉強もしていたのですが、最後の長文がすらすら頭に入っていく感覚がありました。これまでは時間内に長文を読み終えるのもままらならなかったのに、大進歩です。
よし、そろそろ力試しをしてみよう。
2014年10月26日、TOEICを受験しました。
3 40歳直前の就活 自分にできることは?
日本に越してきた私は、就活しようと決心しました。
そこで、家業の会社を経営している長年の友人に相談しました。
40直前の職歴も技術もない女が、オフィスワークの働き口を見つけるには、どんな資格があればよいか? 40代で就活を成功させるには、どんな資格や技能があればよいか? それよりも40代で就活できるのか? そんなことを矢継ぎ早に聞きました。
私「簿記でも取ろうかな」
友「簿記…(絶句)。やったことないのに? 今さら過ぎない? それよりあなたは、アメリカに10年近くいたんだから、英語を活かした方がいいよ。自分の強みを活かすことを考えて」
なるほどと思いました。
闇雲にどんな資格があれば就職できるか、ではなく、もう若くない私は、限られた時間をを有効に使い自分の強みを最大限に伸ばして、活かすことが大事。
とはいえ、アメリカ人の夫と結婚し、在米10年ではあるものの、私の英語はいわゆるブロークンイングリッシュで、仕事に使えるような英語ではありませんでした。
友「それでも日本にずっといた人より喋れるのは間違い無いんだから。今から畑違いの簿記の勉強するより、英語を伸ばす方が効率いいよ」
ごもっともです。
というわけで、まずはTOEICを受験し、現在の英語力を確認し、今後の対策を考えることにしました。
10年前、アメリカへ行く前に受験した時、785点でした。10年のアメリカ生活を経て、スコアは何点あがったか。。。
結果は790点。10年アメリカにいて、ほとんどスコアが伸びていないことにショックを受けました。でも10年前よりは、格段に英語を聞けるようになったし、読めるようになったはずなのに。。。なぜ?
考えつく理由は、10年前の受験時は通信大学で英文学を専攻し、選択科目でTOEICがあったので、それなりに対策をしていたのです。そして今回は、対策もせず、よくいえば、まっさらの状態で受験したのでした。
やはり試験には適切な対策が必要だ...
ブラッシュアップのための勉強と並行して、TOEIC対策の勉強を始めることにしました。
当時参考にしたのはCNNニュースリーディングとイングリッシュジャーナルです。
これは英語に触れるというより、私の場合は「英語と日本語に同時に触れられる」という点にメリットがありました。
テレビは英語の放送だけを見るようにし、日本の民放はほとんど見ませんでした。
幸い、私以外の家族は英語がメインなので、日本にいながら「英語漬け」の環境はさほど難しくありませんでした。
ただそうすると、せっかく日本に帰ってきたのに、日本語が恋しくなるという謎な現象が起き、上にあげたCNNニュースリスニングやEJでわずかに日本語に触れる、といった状態でした。
帰国してしばらくはそんな日々を過ごしました。
しかしそれだけではやはり足りないので、子供たちが新しい環境へ慣れてきた頃、学校へ行こうと決心しました。
そのためにはお金が必要です。でもお金はない! さあどうする?
恥ずかしながら日本に来た直後、我が家はカツカツでした。引っ越し費用は会社が出してくれたものの、そのほかの諸経費(賃貸に出したアメリカの家の補修費、店子が決まるまでのローン支払いや管理会社への手数料、日本での家が見つかるまでの仮住まいのホテル代や車購入費、など)がかさみ、自分の学費まで手が回りません。
基、前の夫は給料を私の知らない別口座へ移動していたので、私も触れる口座には、いつも数万円程度しか入っていませんでしたので、どのみちどうにもできなかったのですが。
当時二人の子供は小学生、下の子は朝と午後の送り迎えが必要でした。そこで、昼間は家にいて家事や子供の送り迎えをこなし、子供たちに夕食を食べさせた後は夫に任せ、私は深夜コールセンターのアルバイトをしました。昼より夕方以降が時給も良かったし。時に早朝掃除のバイトも追加し、日曜は単発のバイトを入れ、一日働くこともありました。
四十手前で深夜のバイトや掛け持ちは正直、きつかったです。
変な電話をとった日などは、心が折れそうになったし、たまに昼間ママ友とランチすると、他のママたちは優雅な生活ぶりなのに、自分は子供の寝顔も見れずにバイトして、私は何をやっているのだろうと、虚しくなることもありました。
それでもこのまま自分のない生活はしたくない、自立するためと言い聞かせました。
きついバイトを半年ほど続け、まとまった金額が貯まりました。
これで学校に行ける。